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2011年10月15日

ライバル考

清少納言紫式部 がライバル関係にあったというのは有名な話。

 

清少納言が女房として仕えていたのは一条天皇の中宮定子

紫式部が家庭教師みたいな感じで仕えたのは一条天皇の中宮彰子

 

定子が入内したのは990年。

ところが1000年の2月、道長 が娘の彰子を同じ天皇の中宮に割り込ませたの。

 

定子にとって彰子はいとこで道長は叔父。

でも政敵だった。

 

定子は中宮と同列の皇后になったんだけど、

道長という強力な後ろ盾のある彰子の方が有利。

同年末の第二子出産直後、もろもろの悲しみとストレスとが影響したのか、

定子は他界。

清少納言も後宮を去った。

 

ところで。

紫式部が彰子に仕えたのは1006年なんだって。

 

つまり、定子と彰子の戦いはすでに終わっていた。

 

宮仕え中の日記紫式部日記 には

同時期の有名だった女房たちの人物評が見られるんだけど、

清少納言についてはこんなことを書いている。

「得意気に漢字を書き散らしているが、よく見ると間違いも多いし大した事はない」

「こんな人の行く末にいいことがあるだろうか。いや、ない」

 

5年以上も前に敗れ去った者にかける情け容赦ない追い打ち。

キミはどう思う?

 

(2010年8月6日作成記事)
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posted by みちこ at 08:25| Comment(0) | 文学史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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